2011年12月24日土曜日

汚染車両に乗り被曝した双子 北海道より

はじめまして。

北海道上川郡在住のhiroと言います。
木下さんのブログ、みんなのカルテ、いつも拝見させていただいてます。
貴重な情報をありがとうございます。

私は兄と同じ町で暮らしながら介護事業所の運営をしています(看護師です)。
双子のことも、ずっとそばでその成長を見続けてきました。
3月にあの事故が起き、これから大変なことになると思い、すぐに線量計を用意し、
放射能対策をしてきました。3月末、福島県の川内村に暮らしていた祖父母がこちらへ
避難移住。その際、「車は除染をしてきた」との話でした。
なので「大丈夫だろう」と高をくくっていました。
そして双子は、その祖父母が持ってきた車に何度も乗ることに。
ここから先は下の時系列を見てください。

2011.3.11
東日本大震災
2011.3.12
福島第一原発1号機爆発
川内村に住む双子の祖父母が、避難者に対して川内村で炊き出し
2011.3.13
同様に双子の祖父母が川内村で炊き出し
2011.3.14
福島第一原発3号機爆発
双子の祖父母が川内村脱出
フォレスターで燃料を買出しに走るも購入できず、ガス欠で自宅放置
ミニカで郡山避難所へ
2011.3.1517
双子の祖父母が郡山市の避難所で過ごす
2011.3.17
双子の祖母父が、ミニカは郡山市の避難所付近に残し、
新幹線で横浜の息子(実子=長男)夫婦宅に入る
2011.3.29
双子の祖母父が、郡山市にミニカを取りにもどったあと、
北海道(実子=長女居住地近隣)に移住。
このころから双子が送迎などで祖父母のミニカに何度も乗車する
5月
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
6月
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
7月半ば
双子のK君Y君が、同時に倦怠感で寝込む
2011.7.28
7.30
双子の祖父母が身の回り品およびフォレスターを取りに、川内村に一時帰宅。
28日北海道発29日に川内村の自宅着。
車両1台(フォレスター)とその他の身の回り品を当麻に持ち帰る。
この際、とくに放射能防御は何もしていない。
フォレスターは原発爆発から4ヶ月半、野外に放置されていた。
双子はフォレスターにもこのころから何度か乗車する
2011.8.4
双子のK君Y君が、再び同時に倦怠感と体調不良で寝込む
8月上旬
Y君が寝込み始める。K君はやや回復。
2011.8.15
病院で双子が診察を受ける(吐き気・頭痛・倦怠感・寝汗・無気力)
血液検査は異常なし
2011.8.18
K君の右足ふくらはぎ疼痛が始まる
Y君の痙攣が始まる
2011.8.30
ミニカのラジエター付近で友人のH氏が最大0,9μSv/hを計
結果的にこの発見が双子の最悪の事態を回避するきっかけになる)
すぐに自宅に戻り、Y君の頭部LET(快療法)で異常に気付く
2011.9.1
札幌にてプハン(バンキー)治療
以後、毎日バンキーや快療法に基づく手当てを自宅にて双子に実施。
9月中旬
Y君の歩行障害が始まる
10月下旬
Y君の痙攣は、外見的にはわからない程度まで回復
(胸に手のひらで触れると若干感じる程度)
2011.11.6
旭川トヨペットと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる)
旭川ホンダと汚染車の部品交換の直接話し合い(断られる)
2011.11.7
旭川スズキは電話で「放射能汚染のある車は…」と断られる
ミニカの外部線量の再測定を行う
2011.11.9
北海道内の病院にて神経内科を受診
双子とも、神経に関する触診・運動系テストでは異常無し
しかし、痙攣や歩行困難、筋肉の疼痛や萎縮など、
双子にほぼ同時に起きた経緯などから、
「放射線による可能性がある」と医師が認め、診断書を書くことを了承
2011.11.18
旭川三菱が部品取り外し作業を受け入れてくださり、ミニカの部品回収
このとき、ワイパー下部(フロントデッキガーニッシュ内部)に詰まった土埃から最大で2,6μSv/hを計測(DP802i
11月下旬
Y君の痙攣は外見的にはわからない程度まで回復
(胸に手を触れても第三者にはわからないが、本人においてはまだ微細な痙攣感覚あり)
2011.12.1
土埃をSOEKS-01再計測し、3,03μSv/hを計測。
アルミ板でβ線遮蔽を行っても、0,62μSv/hを計測。
※この土埃はわずか数グラム(耳かき数杯程度)
2011.12.6
道民放射能測定所のベクレルモニターLB200にて、
土埃(耳かき数杯程度=数グラム)を測定。
1万数千ベクレルを確認 →横浜の同位体研究所に同検体を測定依頼

2011.12.14

同位体研究所による、上記数グラムの「土埃」の測定結果は以下のとおり。
セシウム1373,587Bq、セシウム1342907Bq
セシウム合算6,494Bq
  数グラム=5gの土埃と仮定すると、×200倍で

濃度=130万ベクレル/kg



以上が時系列です。


現在、双子は日々体調の変化があり、倦怠感や頭痛、足の痛みなどで、寝込むことが多いです。おそらく免疫力が極端に低下しているのではないかと思っています。
一人はなんとか杖をつきながら調子のいい日は学校へ行っていますが、もう一人は夏からずっと学校へは行けていません。


こうしてHPを立ち上げて公表することに関し、私たちはとても悩みました。
彼らのこれからの人生がどうなっていくのか。
「差別」というものに苦しむことになってしまうのか。


それでも、懸命に生きようとする彼らの姿から、私たちがここで立ち止まっていてはいけない、と。


まだまだ他にもたくさんの人たちが同じように汚染された車に乗り、今後同じように被ばくをしてしまうことを考えると居てもたってもいられない、なんとか一人でも多くの人を助けなければという思いで公表する決意をしました。


HPに兄が書いていますように、今は裁判などを考えているわけではありません。とにかく、一人でも多くの人にこの事実を知っていただき、被ばくを防いでもらうこと。それ一心です。


内容を精査していただき、問題がないと判断されたら、どうかたくさんの方に拡散ください。


どうぞよろしくお願いいたします。

医療診断書、車両汚染経緯ファイル http://goo.gl/IHEem
HPはここです。http://2011kazu.web.fc2.com/



本人の皆々様への心からのお願いです

このファイルをインターネット上にアップするかどうか、正直なところ、本当に悩み、苦しみました。
僕自身が、我が子の未来をどう拓くのか…子供たち自身が自らの未来をどう切り拓いてゆくのか…
そのことをずっと考えていました。

23年前、泊原発、そして幌延の高レベル放射性廃棄物問題で北海道が沸騰していた時期、
僕は大学4年生で、若いなりにこの問題と向き合い、自分なりに必死に考えて、行動していました。
泊、幌延、六ヶ所、女川、福島、東海、大飯、美浜、もんじゅ、島根…
これらの現地にも足を運んで、この「原子力」という無機物の怪物を見つめ、
(いつか、すべてをやめさせたい)
そう願ってきた一人です。

けれども、2011年3月11日の大震災の直後、23年前から憂いていた日が…ついにやってきてしまいました。

僕が真っ先にしたのは、我が子4人の下の双子たちに、
「申し訳なかった…原発を止めることができなかった…」との謝罪です。

フクシマの1号機、3号機の爆発映像を呆然と見つめ、恐ろしいほどの虚脱感に襲われました。
けれども、ぼぉっとしている猶予などありませんでした。
原発事故というものは、フクシマと北海道との距離など、目と鼻の先同然ですから。

情報は錯綜していましたが、
ニュースの断片と23年前に学んだ知識から推測して、これはチェルノブイリ事故以上の被害になると確信し、
とにかく第一波のヨウ素131から子供らを守るため、
友人らと1~2ヶ月は篭城できるだけの想定をして準備をしました。(篭城までは実行しませんでしたが)
常に風向きを警戒し、雨には絶対当たるなと伝え…

しかし、思いもよらぬところから双子らが被曝し、床に伏しました。
このサイトで詳細をお伝えしているとおり、
汚染車両による被曝が原因であることは、ほとんど疑う余地もありません。

この一連のことについて、一人の親として、一人の人間として、どう行動するのか、本当に悩みました。

第一にはもちろん、双子たちがこの被曝症状からいかに早く、そしてどこまで回復させてあげられるのか…ということが最優先でした。

友人のH氏が、車両の部分部分が高い線量であることに気付き、
第一報をくれたのは8/30、すでに19時近かったとおもいます。
(この知らせが1日遅かったら、と思うとぞっとします…)
すぐに真っ暗になった道を車で走って、現場に行き、高線量を線量計で確認。
即とってかえして、頻繁に体調を崩していた双子らを確認し、
すぐに自然療法仲間、ほうぼうに連絡をとって、最も効果的と思われる方法を探しました。

翌日は自営業の配達の日で、どうしても穴を空けるわけにいかず、
配達しながらも、さらに連絡を取り合って、治療法(放射性物質の排泄方法)を考えました。

子供らには、汚染車両に乗らないこと、
そして妻には、すぐに祖父母にこのことを連絡するように指示して、
翌々日には札幌のバンキー(吸い玉=プハンのようなもの)の指導所に症状の重いY君を連れて行きました。

双子は5、6、7月とほぼ同時に熱も出さずに倦怠感と無気力で数日寝込むことが続き、
8月半ばには、Y君の痙攣が始まりました。
さらに9月には歩行困難も合併しましたが、痙攣は少しずつ改善していきました。

Y君の歩行障害は12月現在も続いています。
K君の右ふくらはぎ付近の筋肉の疼痛と萎縮も、まだあります。
しかし、汚染車両に乗らなくなって、手当てを始めてからは、
ひどい倦怠感で寝込むようなことは、ほぼなくなりました。

お医者さんには、12月現在まで、3回診察を受けていますが、
治療法はなく、経過観察のみといわれています。

※この子らに毎日のように行っているさまざまな自然療法の手当てについては、別に書こうと思っています。



この問題は、我が子だけの問題ではなく、
まだまだ数万、あるいは数十万の汚染車両が日本中を走っている可能性があり、
一刻も早く対処しなければ、次々と被害に遭う子供たちが増えてしまいます。
双子たちは、被曝(おそらくは吸い込んだ)によって、
倦怠感、無気力、痙攣、歩行障害、筋肉の痛み、筋肉萎縮などの症状になりましたが、
必ずしもみんなが同じ症状になるとは限りません。
体内に入った放射性物質が、どこに蓄積し、どこが弱り、感染症などとの合併で、どんな症状を起こすのか、
通常は予測不能であり、多種多様の疾患につながると思います。
そして、汚染に対しての事実認識をしないと、
今、あなたに何か症状があっても、
あるいはお子さんに何か症状があっても、
病院にかけこみ、風邪などの適当な診断(というより、普通はこう診断する、というような)を受けて、
マニュアルどおりの投薬をされます。
それが、放射能のせいなのかどうか、個々に判別するのは極めて困難で、
1年、5年、10年、20年と、統計学的な数値が明らかになってきたときに、
そうなのかもしれませんね、と言われるのです。
ですが・・・我が子を単なる統計学的な数値のひとりにしたいですか??


…悩みました…
この事実を暴露するということは、双子たちの未来に「差別」という障害が立ちはだかる可能性があるからです。

それでも敢えて、このように公開に踏み切ったのは、被曝の恐怖におびえ、そして差別におびえ、ひっそりと息を殺して、生きていく未来を
この子らが望んでいるはずがないと、この子らの笑顔を見て、確信するからです。


このサイトに来て、この文を読んでいる方々に、ぜひ、お願いしたいことがあります。

あなたの持っている車、
あなたのご自宅の庭、
あなたの生活空間のどこか、

なんとかして、汚染状況をしっかり把握してください。
空間線量だけでは、絶対にいけません!

なぜなら、0,2~0,3μSv/hくらいであっても、
その付近には、数千、数万ベクレルの汚染が存在する可能性があるからです。
だから、国は汚染度合いも、除染のことも、避難の区分けも、
空間線量でしか言わないのです。

ですから、しっかりと汚染を調べて、数値を記録して、証拠を残してください。
でないと、全てをウヤムヤにされます。

僕たちが調べた車も、鉄板などの比較的容易に洗車ができる部分は、
0,1前後しかありませんでしたが、
パッキンなどの部分では、0,2~0,5、
ワイパー根元の吸気口付近では1~2μSv/hを計測し、
その一部の土埃をぬぐいとっただけで、数千ベクレルの放射能を検出しているのです。

この車1台の、総汚染量は、数十万~百万ベクレルに達するのではないかと推測しています。

このような場所に子供を近づけてはいけません。
適当に廃車にしたり、捨てたりすることもいけません。
すでにこの車は、放射性廃棄物です。

この車と同じようなレベルの放射性の瓦礫を、
全国の自治体に受け入れさせようとする動きがあります。

これも、絶対に阻止しないといけません。
すでに、北は岩手から、南は関東全域を含め、静岡、長野、新潟あたりまで、
法的な意味での「放射線管理区域」を超えているのは、土壌汚染の実測値によって明らかになってきています。
(文科省の航空モニタリングの数値は、土壌実測値と比較してあまりにも低い)

汚染地から、一人でも多くの方が避難されることを願っています。
そして、汚染されている物は絶対に持ち出さないことです。
そのことを…この子らが証明してくれているじゃないですか。。。。

この子らの痛みを、絶対に無駄にしたくありません。


もう一度言います。

ちゃんと、目を背けずに、汚染を確認してください。
そして、自分を、我が子を、友人を汚染から守ってあげてください。

除染など危険なだけで、今は意味がありません。

まずは避難してください。
あるいは避難を助けてあげてください。

原発反対とか、新しい自然エネルギーとか、
そういうことも後回しにして、
まずは、事実認識、そして避難、それだけでいいのです。

それだけで、原発など、勝手に止まります。
自然エネルギーの開発も、勝手に進んでいくはずです。
今、我が子を守らないで、いつ守るのですか??

この国は、国民を守ってくれません。

守れるのは、あなた自身だけです。

私自身だけです。

裁判など後回しにします。
みなさんに早くお伝えしたくて、ここに書きました。
心よりお願いします。。。


2011.12.20 kazu



12 件のコメント:

  1. 心からお礼を申し上げたい。ありがとうございます。よくぞ公表してくださいました。貴重な情報を知ることができました。

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  2. 政治家、官僚、電力会社・・・心ない大人のせいで・・涙が止まりません。嘘で塗り固められた原発行政・・いったいどれだけの被害を出せば気づくのか・・・

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  3. 本当に腹が立ちます・・・
    お子さん達が早く回復してくれることを願います。

    汚染車両は中古車として、
    日本中で「普通に売られている」と思われます。
    http://www.youtube.com/watch?v=N86pDssdhF0
    名義変更し、ナンバープレートを付け替えて、
    売られているとすれば、
    誰も放射能汚染された車だとは思わないでしょう・・・

    本当に、日本中どこに住んでいても、
    安全ではなくなってしまったんですね・・・

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  4. 診断書が出たとのこと。大変難しいそうなので、お医者様の英断に感謝ですね。
    そしてこのブログページ、調べ方や説明などすごくわかりやすいです。
    (双子君たちの治療の経過があったら尚助かります。)

    木下氏の講演に2度参加しています。
    バングラデシュ人のディーラーの話。車が一番危ないと聞きました。

    お車、除染できるレベルでよかったですね。

    私は0315外出組。震災後すぐに症状が出たため、神奈川から引越しました。
    中国地方でも、ガイガーで測ると結構高いです。

    放射能を理解しない親のせいで、夏の間開放してあった部屋は高く、締め切っている私の部屋は低い。
    それでも、エアコンのフィルターはびっくりするくらい高かったです。
    (空気の汚染か、荷物からのホコリ?)

    北海道産の野菜でベクレているものには当たっていませんが、ビート糖に注意してください。

    わずかですがベクレてます 材料のビート?
    北海道企業の茶色のもの&中部工場の氷砂糖

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  5. 貴重な資料、情報を公開してくださってありがとうございます。ブログでも紹介させていただきました。http://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012/22099312.html
    ツイッターアカウント(@costarica0012)です。
    http://twilog.org/costarica0012

    夏休みに、関東地区からの避難者を受け入れ林間学校を開催しましたが、無防備なままでしたから、死の灰を付着して家の中に持ち込まれているようです。
    車両だけでなく、管理区域からの持ち出しは、大変危険ですね。塵、埃が一番危険。
    那須から、愛媛への避難した方の車の線量を仲間が測りましたが、足元、靴等が土壌を付着している場所が一番線量が高かった。外部被ばくより、内部被ばくが恐ろしいですね。

    みどりの市民の皆様へ:この法律で闘おう◆4万ベクレル/m2を超える放射線管理区域からは、死の灰が付着した瓦礫や車両、モノを持ち出していはならない。この法律を守らない人は、市民であろうと政治家、行政マン、裁判官であろうと、日本国憲法が処罰するhttp://blogs.yahoo.co.jp/costarica0012

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  6. よく勇気を持ってお書きになりました。ブロガーお使いでしたか。来年、民主党政権は秘密保護法を制定し、日本国内のホームページは今後、削除や捜査の対象になります。国外に国民保護の運動の場を持つのが大切です。
    汚染車両のお話、大変な事態だと思います。アメリカ・エネルギー省のデータではセシウム類だけではなく、ストロンチウム類、プルトニウム類、ウラニウム類等が東日本の各地区の検査でかなりの濃度で見つかっています。核燃料が飛散したのはほぼ間違いありません。お車はそうした死の灰を被っていたと思われます。
    双子のお子さんがどうぞ回復なさいますように。なるべく汚染源からまず遠ざけてあげてください。

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  7. 自分の健康が知らないうちに呑まれていく。私がそうされたら、凄く悔しいし哀しくてたまらないと思います
    (私は原発近くに住んでいます。リスクを3.11後に知りました。
    身内や自分が病気になった時、いいえならなくても私は原子力を恨んでしまいそうです。
    健康が1番大事なのに、と。

    原発を受け入れた街なんて、他の街からしたら金に汚い街の住民にしか思えないかもしれませんが。反対派もいたし、貧しかったという事情があったのも事実なんです。
    私は福島の事故で目が覚めました。

    今闘っている方の気に障ったらすみません。

    最近では反原発にいくらつぎ込んででもいいから原発を滅ぼしたいと思っています)

    ブラックな事を書いてすみません。

    双子くんのためにあそこまで調べ上げたご両親を素直に凄いと思います。
    頑張れなんて無責任な事は言えないけれど、双子くんの回復を祈っています。

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  8. おそらく、このようなことが日本の何百、何千という場所で起こっているのではないかと思っています。あの事故の後の、避難者の除染対策はまったくと言って良い程取られませんでした。周辺地域にもどって自動車を持ってくるなど、本当は刑罰の対象として厳禁という通達なりが出されてしかるべきだったのでは。それを放置どころか推奨さえしたのは、事故を小さく見せかけるため、(自動車まで賠償せず)損害賠償額を少なくするための「政府の意図」だろうと思います。そのために、汚染と健康被害をますます拡大したのだと。この事例がきっかけになって、もっともっと多くの人が気づいてくれると良いと思います。

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  9. 汚染された車は、福島の瓦礫処理と同じように扱うべきだと思います。
    パーツ交換するディーラーの人は、放射能に対して素人なんだから、次はその人たちが被ばくするかもしれないのに…
    自分の都合で汚染された車をパーツ交換して乗るのもどうかと…。
    汚染された地域から車を持ってきたときに調べるべきでしたね。
    この時代に生まれた運命なのかな…。
    みんな明日は我が身。
    心から…。がんばってください。

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  10. 今日、お気に入りに登録していたkazuさんのブログを開こうとしたら、ウイルスチェックに引っかかっていて危険なURLと判断され、開く事が出来ません。

    どうしてもこの事をお伝えしたく、コメントした次第です。
    kazuさんに伝わりますように。。。

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  11. 管理人です。先のURLが開かない、の件ですが、こちらからはきちんと開きます。セキュリティの確認をされるといいかもしれません。よろしくお願いいたします。

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  12. kazuです。
    みなさんの、ご意見、ご感想、そしてご支援のコメント、本当にありがとうございます。

    根拠の無い空騒ぎはいけませんが、
    この車両汚染は事実です。
    車両に限らず、一人でも多くの人たちが、汚染実態に気付き、
    あらん限りの力を振り絞って、行動に出ることを心より祈っていす。

    状況が深刻すぎて、誰だって足がすくみます。。。
    でも、今立ち止まっていてはいけないのです。

    どんな状況にあっても、現実から目を逸らさず、
    明るい未来を必死にイメージしてがんばりましょう!

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