2011年12月22日木曜日

ある医療従事者からの報告 2

震災時からのお話も付け加えお話させてください。

双葉町からの避難者が、11日からどんどん増えました。

当事、避難者を「スクリーニング」検査をして 線量の高い人で 除染 した人はいなかったとマスコミでは言いましたが着ている物も持ち物全て廃棄し、除染(シャワー)し、新たにその時に購入した人達がいました。体制が間に合わずスクリーニングしないて避難してきた人もいました。防護服の自衛隊員が、老人を抱き抱えて病院に置いて行きますがスクリーニングは受けていません。

私達は被曝医療のマニュアルもない、指導もない中 入院と外来を受け入れました。ですが、医大は重傷者のみしか受け入れず(実質避難者受け入れ拒否)、赤十字医療チームも「被曝者は診ないよう本部から指導されている」と言いました。

以後 3日在中しましたが赤十字医療チームは何も診ず他県に行きました

そしてどんどん避難者が入っきます。スクリーニング会場を、この病院にしなければ危ないという話になりましたが医大からストップが掛かりました。ちなみにサーベイメイターによる身体表面のみの汚染検査がスクリーニング検査と呼ばれていました。

結果、スクリーニングは近くの避難所に設けられ、そこで被曝による医療が必要だと判断されれば医大に運ばれます。すぐ後に郡山の総合南東北病院も指定されました。

余談となりますが大事なことですので付け加えます。3月末に、飯舘村と川俣町の子供達の「甲状腺検査」が行われましたがそれは、このスクリーニング検査と同じです。異常なくて当たり前です。シャワーも浴び洋服も変えていますから。

そして、住民もスクリーニング検査しなければいけなくなりました。他の地域から避難拒否されることが増えてきて、スクリーニング検査で異常がないという証明書がなければ避難できないと言われました。そのため、各避難所にある放医研の人によるスクリーニング検査をしました。甲状腺や手の平をよく当てるはずですが、そんな様子もなく、簡単なものです。その調子で検査するのです。なぜなら「大丈夫」だからです。


原発周辺の避難者達は安定ヨウ素剤を服薬していたのに、飯舘村と川俣町では配られなかったことも関係し、当事、川俣町から避難した子供達がほとんどだったために実施されました

そして、山下が安全行脚を3月20日過ぎ行いました。子供達の甲状腺検査をすると言いまた「大丈夫です」を繰り返しました。

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